マサコさんのそれから
うつ病の診断をうけたマサコさん
さりとて 特別な治療も行われることなく
自宅に戻ったのですが
ご飯も十分に食べず 「私みたいなもんが生きてる価値がない」と
泣くことすら 忘れたように
頑なに 自分を閉じ込めて 生きていました。
しかし そんな マサコさんが ケアマネさんの紹介で
デイにおいでたことそのものが
私には 画期的でした。
本来 うつ病なら 外に出ることも 人の話を聞く余裕もないはずです。
その後 私は マサコさんと 静かに話を始めました。
マサコさん 背中を丸くして 首はうなだれて
ご自分の足元だけを見つめ 座ってます。
その 小さな体はさらに小さく感じます。
私は マサコさんの足元に膝まずき 挨拶をしました。
「はじめまして 一緒にリハビリをさせて頂きます。 よろしくお願いします。」
すると マサコさん
「私みたいなものが 生きていていいのでしょうか。
できるものなら 死にたい。
でも 死ぬこともできず、こんなことして生きて・・・」
一気に 喋り出す姿をみて 思ったのは
『この人は うつ病じゃない。
今 戦っているだけなんだ。
目に見えない自分の大きな運命と
この小さい体で 戦っているんだ。
私が 今出来るのは 戦っているマサコさんを
後ろでささえることだけかもしれない』と本能的に感じました。
とにかく 今マサコさんが戦っている モヤモヤを
吐き出さなければいけません。
と言っても 何をどうすればいいか
皆目見当はつきません。
ただ マサコさんが 語るように始めた 話を
うなずきながら 聞く事だけです。
前回のブログで書いた 話も
全て その時マサコさんから直接お聞きしたものです。
赤裸々と語る ご自分の周りに起きた出来事
母として 妻として 自分を支えてきた何かが無くなった時
自分は 風になってしまったと。
「せんせい 私は何もできません。すんませんね。
私みたいなものに時間を取らせてしもうて。」
重い首をうなだれるように 一礼
「いいえ、マサコさん また来て下さい。
私 待ってますから。
一人で頑張れないけど 私と二人で頑張りましょうね。
二人だと 頑張れるから。」
それから しばらく マサコさん リハビリに来て下さり
二人で 組みひもを編みました。
日に日に 綺麗に仕上がる 帯締めを眺め
「きれいね~」とマサコさん 喜んでいたのですが・・・
ある日 突然 デイに来なくなったのです。
デイのスタッフが電話をしても お迎えにいっても
出てきてくれません。
私も あきらめかけた 2カ月後
突然 マサコさんが 笑顔で訪ねて来られました。
それは 別人のように 顔をあげて 前を向いて
車椅子ではなく お一人で歩いて来室されたのです。
「マサコさ~ん。よかったお元気で」
「せんせい 私大変だったんですよ。」
「なにが あったんですか?」と尋ねると
「おしっこが 近くなって 10分もたたないうちにすぐにトイレに行きたくなって。
病院を何件も回って やっと治ったんですよ。」
「おしっこが近かったんですか?」とまたお聞きすると
「そう、だから なかなかこれなくて。
でも このおしっこが治ったら せんせいのとこ行こうって
決めていたんです。だから今日来ました」
何が何だか 全然わかりませんが
私は マサコさんがお元気だった事が
何にも代え難いくらい 嬉しく
ついつい 両手で ハグしちゃいました。
「あんれ~せんせい おおげさやね~」と
あどけなく笑うマサコさん
おしっこと 病院通いと 組みひもと うつ病
どこで繋がったかは わかりません。
多分 全部 バラバラなのかもしれません。
そのバラバラをひとつづつ マサコさんは自分の小さな指で
2ヶ月間 紡いでいたのです。
うつ病という診断 そのものが 今となっては ホントかな?
と 思ったりします(お医者さん ゴメンナサイ)
でも 病名は 何でもいいのです。
とにかく マサコさんは 戦いに勝ったのです。
ご自分の運命に勝ったのです。
私は それを ハラハラ見ていただけでした。
そして また 思いました。
今日も又 利用者さんから多くの事を教えられました。と
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