在宅介護をするということ
冬の寒さのせいでしょうか
体調を悪化される利用者さんが 多く見られます。
「元気がない」「鼻水がでる」「膝を痛がってる」
家族は 安易に受診し 入院を希望される様子を見て
疑問を感じる事があります。
もう30年以上も前の事です。
私の祖母が 肺炎になり1~2週間 入院していました。
当時は 介護サービスどころか
田舎の病院では 完全看護も満たされず
「付き添い婦」と言う方に お願いして
入院中の 祖母の排泄交換や食事介助をしていました。
しかし お金もかさみ それもままならなくなった事
長い入院は 家族が「可哀想」と思いだした事で
母は 寝たきりの祖母を自宅にひきとったのです。
当たり前のようにする布オムツの交換と大量の洗濯物
食事が十分に取れない祖母に ガーゼで甘いジュースを湿らせ
口に含ませたり 重湯を食べさせたり
私は「昔の介護」を目の当たりに見てきました。
やがて 祖母は家族の顔も忘れ 自分がどこにいるかも分からなくなり
意識が徐々にもうろうとしていくのですが
そんな中でも 母はオムツの交換と わずかな食事を
声をかけながら行っていました。
当時 高校生だった私の眼には
「人」としての名残りがほとんど亡くなった祖母に
「人」として 当たり前に接している母が
正直 不思議でたまりませんでした。
でも それが介護であり、親子なのだとも 感じ取っていたのです。
今 この仕事をして 安易に 病院に入院を希望したり
介護を放棄している家族をみると
ふと 穏やかな顔で 祖母のオムツを変えている母の横顔を
思い出す事があります。
そして 「あの時の 母を支えていたのはなんだったのだろう」と
素朴な疑問が 頭をよぎる事があります。
私も 姑を介護しましたが 周囲の方の力を借り
多くの介護サービスを利用してこそ のりこえられた日々
母はどうやって 目の前にある介護を
精神的動揺もみせることなく こなしていたのでしょうか。
もしかしたら
「畳の上で亡くなりたい」と「畳の上で見送りたい」の
思いが合致した 母と祖母の暗黙の協定だったのかもしれません。
そして 最後にした 母と娘の共同作業だったのかもしれないと
今は思います。
入院で 足が遠のく家族をみるにつれ
そんな「協定」が希薄になってきた 時代の流れに
物悲しさと はかなさを感じてやみません。
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タグ:介護
家族の 死 は 大変大きな問題なのに 療養が長引くと ばらばらな気持ちに なる 人の心のアンバランス な ところ 高齢者住宅の 中での出来事は 私にとって すごい経験です この先 もっと歳をとって行くときには どのように と 思うこともありますが やはり 一番は 家庭の中です 他人の手で介護される人にとって 介護人は優しいか怖いかで 体が変わるように思います。 時間で決められた仕事 でも 心のある 人間 それを長いこと勤めてる人は 自分勝手と 言われる 少し可愛そうに思います
おはようございます。介護ママさんの お母様は 凄いです。
私は 経済的な事や ご存知の通り 事情があり自宅介護していますが 母親を大事とか 可哀想とかという気持ちが無く ただただ早く…。と その時を待ちわびる毎日で 憎悪で一杯で…。
こんなの介護じゃないと 自分でも思うし 最近は 自分でもひどいと思う事もあります。放棄できるのならしたい。いらない。
そんな思いで一杯の中の 一人での介護は あまりにも 辛く しかし小さな頃を思い出すとまだ マシと 思う事で紙一重を 乗り越えずにいる次第です。
朝から すみませんm(__)m
そうですね…今の私達は 施設利用が出来るので お母様の時とでは 全然違うと思います。
介護ママさんのお母様も 介護されてたのですね。
私の母は舅と姑である おばーちゃん おじいちゃんを 長年看ていました。 同じように 付き添いさんがいる時代です。
でも 仕事しながら毎日休み無く 病院に1~2度通ってました。
在宅期間も長くて ほんとーに大変だったと思います。
おかげで私も 当たり前の様に お義母さん入院中に 毎日通うことが出来ました。
そんな姿を見せてくれた母に感謝しています。
>おばちゃんさん
ヘルパーさんや介護職員はボランティアではない、業務と愛情を併せ持った難しい立場です。ご家族や利用者さんが理解できないなら、周囲のスタッフが認め理解して差し上げる事が救いになるかもしれません。