「さっちゃん」をありがとう
今日はお姑さんの最後の思い出のお話をしましょう。
私のお姑さんは ゆっくりと時間をかけて
認知症になっていきました。
お世話をしていても 中々 分かってもらえず
きつい言葉を浴びせさせられたり
悲しくて やりきれなくて 投げ出そうと思ったことも
度々ありました。
でも そんな気持ちも いつのまにか時間という魔法が
私やお姑さんを包み込んでくれていました。
段々言葉を忘れ 人の記憶も忘れ
動くこともできなくなったお姑さん
いつとはなく私は「おばあちゃん」と呼ぶようになり
おばあちゃん 子供の様な純真な瞳で
見つめてくれるようになったのです。
主人の事も 子供の事も分からなくなって
傍にいる私が誰かもわからなくなったのに
最後まで口にしたのは私の名前の「さっちゃん」です。
看護師さんが 私を見て
「お嫁さんですか」と聞くと
おばあちゃん 「さっちゃん」と私を指すのです。
また
「お嫁さんですね」と言われると 首を振り
同じように「さっちゃん」と。
最後は眠るように意識の海に 消えていったおばあちゃん
その 入り口で 私に話した最後の言葉は
「さよなら」でも「ありがとう」でもなく
「さっちゃん」でした。
嫁と姑 辛い時もたくさんありました。
でも この最後の一言は どんな綺麗な感謝の言葉よりも
重く強く 私の心に響きわたりました。
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「さっちゃん」の言葉に、ありがとうよりも、もっともっと深い感謝の気持ちを感じました。
「お嫁さん」という立場より、個人の「さっちゃん」に感謝されていたんでしょうね。
人には 優しい言葉 を 上手に 使うことが出来る と 考えていたけど 心の中ではその人の 環境は分かるけど 自分に ストレスがたまるのが 分かるように なり 今は揺れ動いて居ます 他人には優しくなれる と 自負していたが 本来の頑固な面が 今出てきてます 一人の人を見守る なんて 無理だったのですね もう少し自分を 客観的に見なければ と 考えます 私は介護を 甘く見ています 疲れました
>エッコビーさん
いつもありがとうございます。私個人なんですね、嬉しいです。
>おばちゃんさん
介護は、難しいかもしれません。私もここまでくるには紆余屈折があったのです。年をとると本来の姿が出てくるのですね。