孫の介護の果て、老人ホームを選んだおばあちゃん

孫の介護の果て、老人ホームを選んだおばあちゃん

今日は、

お孫さんのお世話をうけて過ごしていたおばあちゃんが

苦悩の末 選んだ先をお話しましょう。


ソノコおばあちゃんは ご主人を早くに亡くし

女手一人で 床屋さんをしながら

息子さんを育ててきました。

この息子さんも お母さんと同じ床屋さんをしていましたが

病気で早世し お嫁さんとおばあちゃんとで

床屋さんを守ってきました。


そのお嫁さんも やがて病気で

おばあちゃんより先に亡くなり

とうとう ソノコおばあちゃんは

ひとりぼっちになったのです。


いえ ひとりぼっちではありません。

実は、

お孫さんご夫婦が一緒に住んでくれることになりました。

それも おばあちゃんが守り通した 床屋さんで

同じく 床屋を営みながら


ソノコおばあちゃんが 私の所にきたのは この頃です。

床屋さんの仕事をやめ 孫夫婦のお世話になって暮らす

居場所のなさ 心苦しさ

そして時代の流れで生じた床屋離れ

お孫さんのお店も例外なく 経営が苦しくなってきました。


そんな中 お孫さん 

段々おばあちゃんをお荷物扱いするようになり

おばあちゃんはそんな孫の不甲斐なさに

不満を並べるようになり

とうとう、家の中はギクシャクしだしたのです。


それでも おばあちゃん 孫はかわいいのです。

少ない年金から 毎月孫に援助したりと

お金の工面は色々していました。


リハビリを始めて まもなくの事です。

「私 施設に行く事にしたわ。

先生 今までありがとう。これ以上孫の世話にはなれんわ」

突然の言葉に 耳を疑いました。

 

ソノコおばあちゃんの言うには

小さい子供を抱えて

亡き両親 祖父のお店を守り続けている孫に

自分という重荷を これ以上背負わすわけにはいかない。

と話してくれました。


「でも あのおうちは おばあちゃんの 人生そのものでしょ。

あそこから 離れるのですか。」

「なあ~ん、いいんや。そんなこと。

でもね。私がそこ(施設)に入るって孫に報告したら

『なんで入るんや』って 孫が怒ってね。

『家にいてくれ』って言うんや。うれしいね~。

私みたいもんでも 家にいて欲しいっていってくれて。

嫁も 泣きながら 止めてくれるんや。」

 

自分の葬式代に残していたお金も置いていき

地元の古い老人ホームに入りました。

 

ソノコおばあちゃん 

今 流行りのユニット式ではありません。

従来型の4人畳部屋です。

 

それから お別れ会もすることなく

はばかるようにして デイケアを去ったソノコおばあちゃん

この施設 郊外のため スタッフも足を運ぶことはなく

おばあちゃんの様子を 誰に聞くこともできず

月日が流れました。

 

そんな クリスマスが近いある日 

テレビのニュースで

サンタクロースさんからプレゼントをもらっている

笑顔いっぱいのソノコおばあちゃんが映ってました。

 

おばあちゃん とても嬉しそうで

とても 楽しそうで

拝むように サンタさんから

プレゼントを受け取っていたのです。

 

ご主人に先立たれ 息子を先に亡くし 

苦労を共にした嫁までをも 自分で見送り

悲しみの湖を何周も何周も周りつづけたソノコおばあちゃん

 

孫に自分と同じ苦労を背負わせたくない一心で選んだ

その行先は 身寄りのないお年寄りたちが集まる

古い古い 老人ホームでした。

 

「おばあちゃん あなたは身寄りがあるでしょ。」

以前 私がそう聞いた時

 

「私の身寄りはもうみんな居ないわ。

孫だけは あの子だけは 幸せになってほしいから、

私がいてはいけないんや」

 

そんな言葉が 

ふと テレビを見ている 私の耳をかすめました。



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36 Responses to “孫の介護の果て、老人ホームを選んだおばあちゃん”

  1. のうえん より:

    残念ながら、ソノコおばあちゃんの行動は現代版の
    姨捨山(おばすてやま)のような気がしました。
    おばあちゃんが言った言葉が胸に突き刺さしました。
    孫の幸せの為に自分が家にいてはいけないと自らの
    意志で老人ホムームを選びました。
    如何してこのように家族がバラバラにならなければ
    一方の幸せが得られないという風な考えにならざるを
    得ないのでしょうか。
    僕の住む長野県には姨捨山と言う地名が現実に
    有ります。貧しかった昔は食べていくのも厳しく、家族が生きて行く為には働けなくなった者は食い扶持減らしの為に姨捨山に置き去りにしたという事です。
    これは家族が生きるか死ぬかの大問題ですので役に立たないと思われた老人(主に年配の女性)が置き去りの対象になりました。
    ソノコおばあちゃんは食べて行く心配は無かったのかも
    知れませんが家族と一緒に暮らせない何かがあったのでしょうね。おばあちゃんが自ら進んで老人ホーム
    に去った事は昔の姨捨山を連想してしまいます。
    このような出来事は恐らく日本全国に沢山あるのではないでしょうか。
    如何してこのような事が起きるのか。人事のように
    考えずに全国の全ての人がこの事を重大に受け止め
    考えなければならないと強く思います。
    明日は自分自身のことなのですから。
    おばあちゃんがとに角ホームの皆さんと楽しく過ごして
    いることが救いです。

  2. 介護ママ より:

    >momoさん
    いつもありがとうございます。「相手を思いやっての決断」って、なかなかできませんね。まして高齢になればなおさら。おばあちゃんのパワーってどこから来るのでしょうね。

  3. 介護ママ より:

    >のうえんさん
    いつもありがとうございます。姨捨山という言葉そのものが、死語になっていたように思っていましたが、そうではないのでしょうね。家族と住めない現実、まして長生き故子供たちも他界し、孫家族の世話にならなけらばいけない現実、これは、長寿社会の悲しい産物です。姨捨山の存在はきっと、このような家族が増える以上在り続けると思います。だから、せめて出来るとしたら。「姨捨山」ではなく、「他人が集まる、温かいホーム」として次の世代の人達が作り、努力することだと思います。同じ介護の現場にいるものとして、これを訴えつづけていきたいです。

  4. 介護ママ より:

    >花水季さん
    いつもありがとうございます。おばあちゃんの決断はすごいです。中々出来ませんよね。

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