新年の誓い、自律をするという意味
1月4日の初出勤の日、
毎年この日に思い出すおばあさんがいます。
今から10年近く前のお話です。
90歳を過ぎた、明治生まれのミヨさん
長い間の野良仕事で、腰は曲がり 背中は丸く
ご苦労を 物語っています。
そんな ミヨおばあさんは1年前、
頼りにしていたお嫁さんを、癌で亡くしました。
明治の女性には珍しく
お嫁さんとは仲良しだったので
それゆえ 亡くなったショックはかなり大きく
自分自身の生きる希望そのものを、なくしかけていたのです。
ミヨおばあさんが 私のもとにきたのは
生きる希望を亡くしたため、床に臥しがちになり、
とうとう歩けなくなったからです。
おトイレや着替えも 一人で出来ず
息子や孫の世話になる毎日
精神的にも肉体的にも
精魂尽き果てていた頃でした。
「はじめまして、今日からよろしくお願いします。
リハビリして、自分の事はできるようになりましょうね。」
そう私が話すと、ミヨおばあさん穏やかな笑みで
「お母さんが(お嫁さんの呼び名)居なくなって
私みたいな者が残ってしまって、
みんなに迷惑かけてばかりいるから、いない方がいいんです。」
ストレートに出てきた本心
長生きという 万人の憧れは虚像なのでしょうか。
傍にいて、支える人が居なくなった今
ミヨおばあさんの 生きる力そのものも
朽ち果ててしまったようです。
悲しい事に 血を分けた 息子や孫がいても
それは 生きる支えにはならなかったのです。
それでも、頑張ってリハビリして 歩けるようになったのですが、
「迷惑掛けている」との言葉は最後まで 消えることはありませんでした。
お正月休みが明けて
「あけましておめでとうございます」で始まる新年
みなさんが「今年もよろしくおねがいします」と言われるのですが
ミヨさんだけは
「先生 私みたいなもの 生きていてもいいのでしょうか。」
そんな 悲しい一言から始まった新年の言葉
やがて ミヨおばあさんは デイケアに来なくなり
まもなく 施設に入所されました。
家族からは 責めたり、邪魔扱いされているわけでもなかったのに・・
これも又 明治の女性の強さや意地でしょうか。
それとも、母親としての愛情でしょうか。
亡くなった今 その答えを聞くことはできません。
リハビリして、歩けるようになって
自分の事も出来るようになって
自律できてると思っていたのに
心の自律にまでは及ばなかったミヨさん
あなたの求めていた「自律」は一体なんだったのでしょうか。
今でも1月4日の初出勤の日に
ミヨさんの悲しい新年の言葉が私の脳裏をかすめます。
一人でも多くの方の力になりたい。
2人目のミヨさんを絶対に出してはならないと・・・
この気持ちを忘れることなく、今年も頑張っていきます。
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明治の女性は、強いです。
昨年、明治生まれの素敵なおばあちゃまが、亡くなりました。
私が、その方から学ばせて貰った事はたくさんあって、介護ママさんがミヨおばあさんに感じた思いと何だか重なってつい、コメント書かせて貰っちゃいました。
>☆こいちゃん☆さん
いつもありがとうございます。強い人ほど頑張ってるから、ポキッと折れた時の反動が大きいような気がしました。ホントに、人は一人で生きれないのですよね。
>まあちゃんさん
こんにちわ、そうですね。生きる事と、死んでいく事。相反することですが、高齢者と過ごしている物にとっては、いつも考えさせられる問題ですね。
>トトロさん
こんにちわ、私こそご無沙汰していまして、申し訳ありません。コメントありがとうございます。明治の女性は強く、奥深く、一言一言に重みがありますね。