認知症で過去の記憶が鮮明に蘇る、亡き母の思い出
今日は認知症のおばあちゃんが話してくれた
亡くなったお母さんのお話しをしましょう。
いつものように、リハビリを始めるために
トモエおばあちゃんは マットの上で仰向けになりました。
私は その横にいき いつもと変わらず
「今日もよろしくお願いします」と 一礼します。
すると 突然「何でそんなこと言うんや」と
トモミおばあちゃん
骨折した右手で不自由そうに涙を拭いながら
泣き出したのです。
「どうしたのですか。いつも 言ってる事じゃないですか」
と私が聞くと
「あんた どっか行くんかね。
丁寧な挨拶されると お別れかと思うわ。」と
又泣き出しました。
いつもの挨拶なのに
今日はどうしたのか 心配になり
「どうして そんな事思ったの?」と聞いてみました。
そしたら トモミおばあちゃん70年余り前の事を
話し始めたのです。
「私は きょうだい がたくさんいたけど
一番上の兄だけは 戦争から帰ってきてないんや。
名誉の戦死といわれるあれや。
でもね うちに母親は ずっと
兄が帰ってくると待ってたんや。
私の母親は91まで 長生きした人やった。
今思うと ボケとったんやね~。
最後は おかしな事を色々言っとったわ。
兄が戦死した事 知らされてたはずなんに
いつも 『あの子が帰ってくるから』って
玄関出ていくんや。
兄は 戦争に行く時 今のあんたみたいに
正座して 丁寧に挨拶しとった。
わたしゃ 子供やったけど 子供心に 忘れられんわ。
だから 丁寧に挨拶されると 母親思い出して
今度は あんたが どこか行くうような気がして。」
と又 泣き出したのです。
トモミおばあちゃんは 認知症も進行し
デイケアに来ていることもわかりません。
手が骨折したことも 覚えていません。
「なんでこの手 痛いんやろ」といつも言ってるのです。
そのおばあちゃんが 突然70年あまりも前の事を
まるで 昨日のことのように
鮮明に話してくれる 現実
亡き母親の不憫さは 戦争の痛みをしらない私でも
胸を締め付けられそうでした。
お兄さんが戦争に向かう時の
両親への挨拶は 私のこの時した挨拶とは
次元が違い過ぎるはずなのに
トモミおばあちゃんの中で なにが この思い出を
引き出したのか 私は 想像もできません。
ただ言えるのは お兄さんの戦死と お母さんの悲しさは
今でも トミミおばあちゃんの胸に
強く焼きつけられている事です。
認知症になったら 全ての事が 順番に忘れられていく
と言われます。
でも 小さい頃受けた衝撃は
失われつつある記憶の中でも
消える事はないのでしょう。
トモミおばあちゃん
「頼むから そんなに丁寧に挨拶せんといて。
私を置いて行かれそうな気がして 悲しくなるから」と
泣いて頼む愛おしさは
もしかしたら 遠のいていた悲しみを
呼び起こしたのかもしれません。
もちろん それが妄想ではなく 思い出であることもちゃんと
おばあちゃんは 分かっているのです。
認知症といわれながらも この記憶の鮮明さと
純粋な思いに 私は 深く心打たれました。
そして 自分の何気ない動作でも
認知症の方の思い出を呼び起こすかもしれない事を思うと
その行動 ひとつひとつも
決して ぞんざいにしてはならない事を 自覚しました。
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トモミおばあちゃんのお話。
ジーンときちゃいますね。
認知症の方ってなんでも忘れてしまっている
と思われがちでスタッフも諦めかけてる。
こんな話をたくさんスタッフにしてあげたいです。
>トトロさん
いつもありがとうございます。後輩のスタッフに、自分達が利用者さんから得た物を伝えていく事も大切ですよね。
昔の記憶、父もやっぱり鮮明です
ほんと今の記憶があいまいなのに不思議ですよね
介護ママさんの対応が心のこもったものなのでいなくなってしまうとさびしいって思われるのでしょうね…..^^
記憶が失われていってもちゃんと一人の人間として尊厳を守ってあげる、対応をしてあげる、こういうのがほんと大事だなって最近感じています
>hiroさん
hiroさん元気ですか。今はとても大変だと思います。でも、いつもこうやって、温かいコメントを下さり、とても感謝しています。お父様は記憶があいまいになりながらでも、あなたが今必死でされていることは十分に記憶に残っているのです。ただそれを表せないだけなんですよ。hiroさんの愛情に勝るものはないのですから。