認知症の母への虐待ではなく愛

認知症の母への虐待ではなく愛

今日は 虐待と言われれた 息子さん「母への愛」のお話をしましょう。


トモエおばあさんはご主人を早くに亡くされ

お化粧品のセールスをして 息子さんを育てました。


某有名化粧品店の 敏腕セールスレディだったとか

日本人離れした 目鼻立ちと 大きな瞳は

90歳を迎える今でも 一目を引きます。

 

でも ちょっと勝気で 命令調に話す言葉は

時には 周囲の利用者さんからは 煙たがられます。


ご家庭でも その勝気な性格は仇となり

息子さんご夫婦とも うまくいきません。


そんな ある日

トモエさんの 腕と太ももに 大きくまっ赤なあざが見られました。

まるで 長い時間 強い力で抑え込まれていたような手首の「あざ」

そして 強く叩かれたような 手のひら大の「あざ」


どう見ても 虐待を伺わす 「あざ」です


ご家族に ケアマネから 連絡を入れてもらいました。


「はい、 母が余りに 暴れるもので

ついつい 抑え込むために 強く両手を抑え込みました。」

息子さんから返ってきた あまりにも 素直な告白

「私が 抑えている間も 母は私を蹴ったり わめいたり

大変な暴れようでした。

私は そんな母を自分の全力で 抑え込みました。」


息子さんは 虐待を認めたのですが

でも 今までの虐待と違うのです。


もし 息子さんが トモエおばあちゃんを抑えなかったら

おばあちゃんの興奮の矛先は お嫁さんや子供達に

向けられたかもしれなかったのです。


大好きだったお母さんの 豹変した姿を

自分の腕の中だけに しまいこんで置きたかった

息子さんの ささやかな そして 強い愛が

トモエおばあちゃんを 抑え込んだのです。

「カアサン 目を覚まして。僕だよ。」って


それを「虐待」というのでしょうか。

なぜ「愛情」と言われないのでしょうか。


こんな悲しい 愛の現れ方もあるかもしれないと

考えさせられた 出来事でした。



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12 Responses to “認知症の母への虐待ではなく愛”

  1. アーサー より:

    私はイライラが高じると母を怒鳴ってしまいます。
    そして、これも言葉の暴力という立派な虐待なのだと、怒鳴ったことを後悔します。
    そんな事の繰り返しです…。
    ただ、言い訳するようですが、「手だけは絶対に挙げない」というのが私の心のストッパーです。
    子供の頃、父が母に手を挙げる姿をさんざん見てきたので、子供心に自分はそんな事は絶対しないと思ってました。
    だから、その体験が私をすんでのところで踏み止まらせています。
    なんだか皮肉ですけどね。

  2. 介護ママ より:

    >hiroさん
    ホントニそうですね。苦しんでいる家族の声や叫びを受け止めるべき場所がない、人がいない。この現実を置き去りにして、虐待と安易に使う行政は今一度現実を見つめなおさなければいけません。ありがとうございます。

  3. 介護ママ より:

    >まあちゃんさん
    そうですね。中に秘められたご家族の苦しみを見つけ、分かち合うことは、難しいですね。人のご家庭の中にまで入らなければいけないのですから。私達がそこまで、ご家族に信用して頂けるようにならなければ・・・行政ができないなら、私達がそうあるべき立場になりたいですね。ありがとうございます。

  4. 介護ママ より:

    >アーサーさん
    どんなに辛くても、手をあげない。その気持ちもお母様への愛だと思います。ブログの息子さんは、自分がした事は覚えていない位必死だったと言ってました。自分を見失ったことへの反省も切なく感じましたが、アーサーさんのように、自分を抑えるもう一人のご自分がいることは、私自身学ばなければなりません。

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