施設でもグループホームでもない高齢者住宅
初めて目にした不思議な世界でした。
そこは とある宗教団体の共同住居です。
「○○教 ○○文教場」
建て物は 古い民家を改築したようです。
そこは 訪問診療を行っている ドクターからの紹介で
デイケアに来る事になった方の自宅
玄関をあけると げた箱には 色々な履物が
整然と並べられ
廊下は 雑巾がけが徹底されてるのでしょうか ピカピカです。
「ごめんくださ~い」と大きな声で誰ともなく呼び出すと
「は~い」と 少々暗くて低い声が返ってきました。
見た目は ちょっと怖い田舎のおばちゃん
「○○デイケアのものです。」
挨拶もままならずに
「入って 入って もう困っとるんや」
おばさんに案内されるまま中に入ると
異様な匂いのする 長い廊下と
その両脇には いくつかの小さな部屋があり
生活の気配を感じます。
その1室の前で「ここのお部屋の方です」と
部屋の戸をあけて目にしたのは
8畳ほどの空間のお部屋ですが
そこは 所せましと物が置いてあり
ベットの上だけが 不思議に広く感じます。
「もう 大変なんです。
おしっこはもらすし ゆう事は聞かないし。
足は腫れてきて 歩けなくなるし。
先生に相談したら デイケアに行けばいいと言われて」
実は この共同住宅には
他にも このように介護を必要としている人が
何人もおいでるのです。
このおばさん
見た目は 怖くて無愛想なんですが
このように 介護を必要としている方の
色々なお世話をされてるのです。
きっと 入団(?)された時は みなさん 元気だったのでしょう。
そして 時間と共に 高齢化し
私財を提供して始めた共同住宅が
いつのまにか 高齢者住宅になったのかもしれません。
しかし 普通の高齢者住宅と全く違う事があります。
それは 宗教という
強い絆でつながっていることです。
このお世話しているおばさんや
同居人の人達は
他人のはずなのに 家族のようにお世話をし
ともに悩み 苦しんでいる
でも、それを苦痛や不満に感じることなく
当然のように受け入れている
お金でも 同情でもない
もっと違う形でつながっているのです。
私には 理解できない 「宗教」という 強い絆です。
でも それでもいいのかもしれません
孤独な高齢者が沢山いる中で
余力のあるものが 弱い者に力を貸す
お互い 助け合い 支え合う
今の日本に 薄らぎつつある 当たり前の事が
ここにはまだ残っているのかもしれないと
私なりに納得してしまいました。
「では、来週から お迎えに伺います。」と
一礼して 玄関を出る
いつのまにか始まった 読経
拍子木を叩きながら 読み上げるお経の響きを背に
私は 夢から少しづつ覚めて行くような
そんな錯覚を感じながら
今の世界に戻ってきました。
介護でお悩みの方へ
介護ママの伝えたい介護のツボは、介護でお悩みの方のお力になりたいと考えています。
どうしたらいいか分からないなどお悩みのことがあれば、
こちらの連絡先にお気軽にご相談ください。
可能な限りお力添えさせていただきます。
同じではないけど 昨日 駅前のハローワークに行く途中 細い今にも倒れそうな おばあさんが 何やら配ってる 広告ならもらおうと 近づきもらうと 何と宗教のパンフレット え 貰ったから反省 宗教でもなんでも生きがいになってるのでは と 考えました 介護の仕事をしてると 子供の言いなりになってる 人が多い 自分を出す事をためらってる 人が 個性をなくしてるように思います 私もその中に入るのかと思うと 残念でなりません どうなったら 諦めの心がわいてくるのか もうすぐですね