最後に見た夕焼け
今日は、老いた母親と 初老の息子の
ちょっと切なくて、微笑ましいお話しをしましょう。
ヨネおばあちゃんは、50代の息子さんと二人ぐらし
この息子さん 定職をもたず チャランポランとして
とうとう お嫁さんにも哀訴つかれたのです。
挙句の果て ヨネおばあちゃんの所に 転がり込み
90歳のおばあちゃんの年金で生活している有様
でも おばあちゃん まんざら 嫌そうでもないのです。
今までずっと一人暮らしだったから
ヨネおばあちゃんは介護保険では「要支援2」
自分の事は何とか出来ていましたが
お洗濯や買い物は 足が悪くて 不自由でした。
だから息子さんがしてくれてます。
リハビリを始めたのも 「要支援」になってから
それまでほとんど 私は おばあちゃんと
お話しする事はありませんでした。
ヨネおばあちゃん 上も下も歯がなく
息子さんが無職との負い目もあり
デイケアでは あまり
周囲の方とはお話しされなかったのです。
そんなおばあちゃん リハビリ中 周囲に人がいなくなると
ついつい 息子さんの愚痴がでてしまうのです。
「な~ん、仕事せん」「パチンコばっかり行って」と
そりゃ 心配だと思います。
自分の年金で生活しているから、
自分が居なくなったら どうなるんだろうって
母親なら なおさらです。
でも おばあちゃん やっぱり 母親なんです。
「息子が 働き始めたら
自分がちゃんと留守番しないと」 って
息子さんに介護負担をかけないようにって
リハビリ頑張るのです。
見通しのない生活設計のように思えたある日
おばあちゃん ニコニコになって話しかけてきました。
「息子がね、近所に新しく出来たスーパーで働きだしたわ。
今はアルバイトやけど
そのうち正規になれるかもしれんって」
この時の 喜びようは 言葉では表せないくらいでした。
そして それからおばあちゃん
ちょっとだけ 幸せ太りしたのです。
息子さん 仕事の終わりに 割引されたお惣菜を
毎日買って来て 夕飯に二人で食べるんです。
そして 息子さんに収入ができたことで
おばあちゃん 車椅子をレンタルしました。
出無精のヨネおばあちゃんにしては 珍しいと思ったら
息子さんが希望されたのです。
車椅子が届いてからは
夕飯の後 車椅子で二人でお散歩
老いた母と初老の息子の のどかなひと時です。
そんな日がしばらく続いたある日の朝
思いもかけない知らせが待っていました。
「ヨネおばあちゃん
お布団の中で眠るように亡くなっていたそうです。
前の日 息子さんと二人で夕日を見ながら散歩して
すごく 喜ばれて お床につき
そのまま 亡くなられたそうです。」
おばあちゃん 綺麗な夕日を二人で見て
きっと安心して旅立ったのですね。
母親は老いてもずっと母親で
子供はいくつになっても子供なんです。
その立場を生涯 逆転することなく
凛として生きた ヨネおばあちゃん
その強さは 不自由な体でずっと一人で生きてきた事が
証となるでしょう。
お世話するだけが介護ではないのかもしれません。
凛とした生き方を見守ることも また介護だと
ヨネおばあちゃんを通して私達は学びました。
介護でお悩みの方へ
介護ママの伝えたい介護のツボは、介護でお悩みの方のお力になりたいと考えています。
どうしたらいいか分からないなどお悩みのことがあれば、
こちらの連絡先にお気軽にご相談ください。
可能な限りお力添えさせていただきます。
息子さんはきっとこれから幸せになると思う
だす。最後にお母さんと一緒に散歩して夕日が
見れたんだすから。親孝行って何不自由なく
親にふんだんに物をプレゼントしたり旅行に
連れて行ったりとは違うと思うだす。今まで
心配かけたかもしれないけど、ちょっとでも
良い方向にむいて親に喜びを与えることが
できたら、それが親孝行だす。一緒の時間も
お宝。だからそれをすることができた息子さん
はこれからも心の中でよかったなって思える
から幸せだと思うしじみだす。よいお話
ありがとうだす
>しじみちゃんさん
早々に読んで頂き、ありがとうございます。そうですね、息子さんなりに親孝行できたのですね。それがおばあちゃんに伝わったのですね。
おばあちゃんはきっと心配な息子の変化?に
安心したんでしょうね。
周囲の人物(特に親族)の与える影響は非常に
大きいですもんね。
おばあちゃん、よかったですね。息子さんと、お散歩できて。息子さんが働き出して、車椅子借りれて。
二人の時間が、ずっと思い出になりますね。
わたしは父が認知症で入院し、会いに行くと たくさん車椅子押して父と話しました。認知症は進行が早く、父の話しは滅茶苦茶でしたが、元々は寡黙な人だったけど 認知症になったら饒舌で、たくさん、かなり話しができました。
それを、思い出しました。最後の父娘の時間だったな、と思っています。