脳腫瘍と介護、元気になることをあきらめなかった

脳腫瘍と介護、元気になることをあきらめなかった

今日は最後まで元気になることを信じて
頑張ったおばあちゃんのお話しをしましょう。

タカコおばあちゃんは 小脳梗塞の既往があるのです。

だから 歩こうとすると 足が震え
物を取ろうとすると 手が震えます。

入院中からリハビリを頑張り
退院後もデイケアでリハビリを頑張りました。

一生懸命頑張って
シルバーカーで1人でお散歩も出来る様になり
手芸も出来る様になりました。

 

なにもかも 順調にいっていたある日
おばあちゃんのリハビリ室での様子がいつもと違うのです。

「家で何かあったのかな。お嫁さんと何かあったのかな。」
と思いながら 様子を見ていたその時
おばあちゃんの 後ろ姿が 妙に揺れているのです。

 

私は不思議に思い
おばあちゃんの正面に行くと 眼球も揺れていました。

眼振 頸振 が見られたので すぐに 看護師に連絡
おばあちゃんは そのまま診察 入院となりました。

 

タカコおばあちゃんの病名
当初は「小脳出血」でしたが
精査の結果「脳腫瘍」が見つかりました。

 

腫瘍部位は手術するには 大変リスクが高く
ご家族の希望もあり 手術をしないことにしました。

ご家族は タカコおばあちゃんに
「前の小脳梗塞が再発したから」と話したようで
タカコおばあちゃん自身は 又元気になると信じていました。

 

私の早期発見のお陰だと思っているようで
私が 病室まで顔を見に行くと
「先生のお陰で こうして元気でおれます。
○○先生(医師)から もう少し遅かったら 助からなかった
と言われました。先生は命の恩人です。」と
と両手を合わせて 拝まれます。

「ホントは違うのです。
私は命の恩人ではないのです。
タカコおばあちゃんを助けていないのです。」

私は 喉まで出かけた言葉を 飲み込み
手を振って 「またね」と部屋を出て行きます。

それでも 気になり
何度かおばあちゃんの部屋に足を運びました。

 

おばあちゃん 少しずつ 悪化しているのに
気が付いているはずなのに
「先生のお陰です。もう少しで元気になります。
元気になったら また リハビリしてくださいね。」
と私を拝むのです。

 

歩けなくなり 顔がむくんでも
「もう少しで元気になります。」って
おばあちゃんずっと 言い続けていました。

 

そんな タカコおばあちゃんが私に話した
最後の言葉は
「先生 喋れないんです。変なんです。」
と 震えて聞き取れないくらいの か細い声でした。

 

それから まもなくタカコおばあちゃん
意識がなくなり 昏睡状態となり
もう2度とお会いすることはありませんでした。

 

数ヵ月後 デイケアに小さなお花が届きました。
「先生 タカコおばあちゃんのお嫁さんからです。
お嫁さん とてもよくして頂いたって 感謝していましたよ。」

タカコおばあちゃん
最後まで 私のことを「命の恩人」と
言い続けてくれてました。

ホントは 助からないことに
気がついていたんじゃないんですか。

 

でも 最後まで 元気なるって 諦めずに
信じていたのでしょうね。

だから ずっと 意識がある限り
「元気になったらリハビリしてね。」と
言い続けていたのですね。

 

タカコおばあちゃんが居なくなった今
命つきるまで リハビリを支えにしてくれたその優しさに
心から感謝いたします。

そして おばあちゃん
あなたこそ私の 「心の恩人」です。



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どうしたらいいか分からないなどお悩みのことがあれば、
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可能な限りお力添えさせていただきます。


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40 Responses to “脳腫瘍と介護、元気になることをあきらめなかった”

  1. 介護ママ より:

    >男はつらいよさん
    こちらこそ、いつもありがとうございます。お義母様と重なるものがあったのですね。昔の女性は優しくて強いと思います。

  2. 介護ママ より:

    >とんこさん
    いつもありがとうございます。とんこさんは、素晴らしい介護職になります。相手の気持ちに寄り添える方ですから。そして、お互いいいおばあちゃんになれるように、心がけていきましょうね。

  3. 介護ママ より:

    >おばちゃんさん
    いつもありがとうございます。おばあちゃん、もし本当の事を知らされていたら、こんな希望を持って、生き通せなかったかもしれないですよね。家族の思いやりに感謝です。

  4. 介護ママ より:

    >果成咲慧さん
    いつもありがとうございます。おばあちゃんにとって、リハビリは生きることそのものだったのでしょうね。

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